沖縄本島南部、南城市玉城百名にひっそりと佇む「藪薩の浦原(やぶさつのうらばる)」は、自然と信仰が調和する神聖な地であり、訪れる人々に深い感動と癒しを与えてくれる場所です。
この地は、琉球王国時代から続く「東御廻い(あがりうまーい)」と呼ばれる巡礼路の一部であり、聖地「ヤブサツ御嶽(うたき)」を中心に、数々の拝所や展望台が点在しています。
ヤブサツ御嶽は、斎場御嶽と並び称されるほどの重要な御嶽であり、森全体が神域とされ、静寂の中に神聖な空気が漂います。御嶽の奥へと進むと、太平洋を一望できる2つの展望台が整備されており、特に奥の展望台からは、晴れた日には久高島まで見渡せる絶景が広がります。
潮の満ち引きによって表情を変える海と、風に揺れる草木の音が、訪れる人の心を穏やかに包み込みます。
この地には、ヤハラヅカサや浜川御嶽、受水走水(うきんじゅはいんじゅ)など、琉球開闢神話や稲作の起源にまつわる伝承が息づく拝所が点在しており、丘陵全体が一つの大きな聖域として捉えられています。
考古学的にも価値が高く、百名貝塚群などの遺跡も確認されており、歴史と文化の重層性を感じさせる場所です。
近年では、整備が進み、案内板や遊歩道が設けられ、より多くの人々が安全に訪れることができるようになりました。
近隣には、絶景カフェ「Caféやぶさち」もあり、散策の後に海を眺めながら一息つくのもおすすめです。
藪薩の浦原は、観光地としての華やかさはないかもしれませんが、その分、静かに自然と向き合い、沖縄の精神文化に触れることができる貴重な場所です。
日常の喧騒を離れ、心を整えたいとき、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
藪薩の浦原の案内版
藪薩の浦原は、南城市玉城百名の海岸沿いから丘陵一帯を指す呼び名。藪薩の浦原と呼ばれる一帯には、藪薩御嶽や浜川御嶽、ヤハラヅカサ、受水走水、親田、ミントングスクといった琉球開闢や稲の発祥説話に関わる御嶽や拝所、百名貝塚群などの遺跡が多く所在しており、この丘陵全体がひとつの聖域として捉えられている。
琉球王国の正史である『中山世鑑』(一六五0年)では、琉球開闢の神「阿摩美久(アマミク)」が初めに創った琉球の御嶽群のうちのひとつ「藪薩ノ浦原」としてあらわれる。また琉球王国の地誌『琉球国由来記」(一七一三年)によると「ヤブサッノ嶽」、「浜川」、「浜川ウケミゾハリ水」など藪薩の浦原の御嶽が、稲のミシキヨマ(初穂儀礼)や雨乞い祈願などの王国祭祀における拝所となっていた。
地域では、ヤハラヅカサに渡って来たアマミクが、浜川御嶽近くの洞穴で仮住まいしたのち、ミントングスクに安住したという伝承も伝えられている。民俗学者の湧上元雄はこの伝承を「この地域の村落の発展段階を伝説的に語ろうとしたもの」としている。また藪薩の浦原一帯の海岸丘陵には、崖葬古墓が散在しており、湧上によると「ヤハシ」、「ヤーサチ」は崖葬地を意味する地名であるという。
藪薩の浦原にある御嶽や斎場御嶽などは、王国時代に国王らが東方巡拝の聖地として訪れていたが、近代以降、 庶民がこれを慣習として受け継ぎ、アガリウマーイ(東 「御廻り)として今日でも行われている。
南城市教育委員会
令和三年三月設置