平敷屋タキノー(へしきやきたのー)
平敷屋タキノーは標高70mほどの小さな丘ですが、地頭である平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)が農民の為に池を掘り、その際に掘り出した土を山のようにし、この丘を築き上げたといいます。
この丘からは太平洋を見ることができ、その下には米軍施設のホワイトビーチを一望できます。
運がよければ大きな米軍の船が止まっている時もあり、たまにその船を写そうと多くのカメラマンがやってくるマニアックなスポットとなっています。
平敷屋タキノーの反対側には平安座島(へんざじま)や浜比嘉島(はまひがじま)などの離島がみれる絶景スポット!
晴れた日は夕陽スポットとしてもおすすめです。
平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)
平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)は琉球の和文学者であり、首里の士族で父の跡を継ぎ平敷屋の地頭となりました。
和歌や琉歌にすぐれいて、士族の若い男女の恋を扱った組踊「手水の縁」擬古文「貧家記」「苔の下」などの作品を残した人である。
尚敬王の22年磔刑に処せられた。
役人を非難する投書をした事や首里対那覇の派閥争い、高貴な女性との愛情問題などがその理由と言われている。
平敷屋朝敏の貧家記
水無月(旧六月)のころいみじうあつきに農夫のわざをみて、
哀れそのはた打かへす
せなかより
ながるるあせや
瀧つしらなみ
ただいまかれが身にあらばいかばかりかはくるしからむ。
まづしけれど我は安楽の人なり。
海から豚がやってきた
~沖縄と世界のウチナーンチュをつなぐ真実の物語~
1945年、第二次世界対戦下の沖縄は住民を巻き込んだ残酷な地上戦を経験しました。
米軍が放った砲弾は鉄の暴風となって地上に降り注ぎ、形あるもの全てが焼き尽くされ、日米合わせて24万人余りがなくなりました。沖縄の惨状は県系二世米兵比嘉太郎の戦場レポートによっていち早くハワイの沖縄県民たちに届けられました。
「島に人影なく、フールに豚なし」
沖縄は人だけではなく食の根幹といえる豚も失っていました。
悲報をうけた世界中のウチナーンチュはふるさと沖縄を救うため大量の救助物資をおくりましたが、ハワイの嘉数亀助(布哇(ハワイ)連合沖縄救済会副会長、糸満市出身)は「生きた豚」の送付(そうふ)を発案しました。豚は沖縄の食糧難(しょくりょうなん)を救うだけでなく、同時に産業不興の大きなあしがかりになると考えたのです。
「豚がいれば沖縄は大丈夫」ハワイのウチナーンチュはそう考えました。布哇(ハワイ)連合沖縄救済会(金城善助会長)は、資金造成活動によって得た5万ドルで550頭の豚を購入します。
1948年8月31日、550頭の白豚を載せたジョン・オーウェン号は、ハワイから渡った7人の豚付添人とともに米国西海岸のオレゴン州ポートランドを出港します。3度にわたって遭遇する嵐や機雷の危機を乗り越え、9月27日に勝連のホワイトビーチに到着しました。陸揚げされた豚はすべての市町村に公平に分配されて周到(しゅうとう)な繁殖(はんしょく)系画のもとに増え続け、4年後には10万頭を超えました。これを境に沖縄の食糧事情は改善され、多くの人命が救われました。
1900年に沖縄初の移民が
ハワイに渡ってから一世紀余。世界に雄飛(ゆうひ)したウチナーンチュは、苦難の歩みを刻みながらも持ち前の明るさと強固なウチナーンチュネットワークによって繋栄を続け、会社的地位を築いていきました。かれの地に確かな足跡を残しつつも郷里の文化を慈(いつく)しみ、沖縄との繋密な関係が保たれてきました。
ハワイから贈られた豚の物語は、沖縄と海外のウチナーンチュの絆を伝える像徴として今も語り継がれています。世界の沖縄移民が未来永劫(みらいえいごう)に「ウチナーンチュ」で有ることを願い、ここに「海から豚がやってきた」記念銘板を配置します。
平成28年12月 うるま市
豚輪送付添人
安慶名吉信、上江洲易男(うえずやすお)、島袋眞栄(しまぶくろしんえい)、山城義雄(やましろよしお)以上うるま市出身
渡名喜元美(となきげんび)南城市出身、仲間牛吉(なかまうしきち)糸満出身、宮里昌平(みやざとしょうへい)
“Pigs from the Sea”Commemorative MonumentThe
Pacific War brought calamity and starvation to the island of Okinawa.
This monument is erected in memory of the 550 pigs delivered to Okinawa by Uchinanchu (Okinawan) immigrants residing in Hawaii. These pigs, which our Uchinanchu brethren in Hawaii risked their lives to deliver, helped revivethe Okinawanpig farming industry and solvethe food shortage, greatly contributing to the island’s postwar recovery. They also played a large role in ensuring that the Okinawan tradition of consuming pork could be carried on to future generations.
This monument honors the men and women of Hawaii who, with love for their ancestral homeland and courage in their hearts, undertook such a monumental taskand whose efforts yielded such incredible results.It was constructed in the hopesthat this magnificent story, which shows the strength of the bonds between the people of Okinawa and their Uchinanchu brothers and sisters in Hawaii, will continue to be passed downacross generations.
Chief Fundraisers from Hawaii:
Zensuke Kinjo, President of the United Okinawan Assistance Association of HawaiiKamesuke Kakazu, Initial Planner and Promoter
The Seven Heroes who Voyaged to Okinawa:
Ryoshin Agena (native of Uruma City)
Yasuo Uezu (native of Uruma City)
ShineiShimabukuro (native of Uruma City)
Yoshio Yamashiro (native of Uruma City)
Genbi Tonaki (native of Nanjo City)
Ushikichi Nakama (native of Itoman City)
Shohei Miyazato (native of the town of Motobu)
「海から豚がやってきた」記念碑
また、「海から豚がやってきた」記念碑が、うるま市民芸術劇場にも設置されていました。
うるま市民芸術劇場も良ければ足を運んで見てみてください。
うるま市民芸術劇場
名所 | 平敷屋タキノー(へしきやきたのー) 平敷屋公園(へしきやこうえん) |
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住所 | 〒904-2314 沖縄県うるま市勝連平敷屋3483 |
営業時間 | 見学自由 |
駐車場 | なし ※空きスペースがあります。自己責任で駐車してください。 |
参考 | 1990(平成2)年3月26日指定 |