沖縄の古代獅子
富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)は、沖縄最古のシーサーと言われている。
製作者は定かではありませんが、琉球王国時代の記録によると富盛の石彫大獅子は1689年に設置されたもので、以来300年以上も同じ場所で住民を見守っている。
富盛の石彫大獅子は1つの大きな岩から彫られ、現存するシーサーの中で最も古いとされています。
琉球王国時代に作られた石彫りのシーサーの高さは141.2cm 全長175.8cm、シーサーとしては大きな分類に入ります。
300年以上が経過した今でも形はハッキリと残っていて、風や雨での劣化が少ないのが最古のシーサーの特徴です。
富盛の石彫大獅子は琉球王国時代の人々の暮らしや考え方を知るための貴重な手がかりとして、沖縄県指定有形民俗文化財にも指定されており大切に保存されています。
観光スポットとしてはややディープな場所にあり、あまり訪れる観光の人は少ないため、上級者向けの観光スポットだと思います。
富盛の石彫大獅子は、当時村中に不審火が多いことで困っていた富盛村の住民が、久米村の蔡応瑞(さいおうずい)大田親雲上に風水占いで設置されました。
大田親雲上の風水による占いの結果、村の南側にある八重瀬岳が火の災いをもたらす原因であることが判明し、災いを防ぐために石獅子を設置したと伝えられている。
昭和20年の6月上旬、退却を続ける日本軍は富盛地区付近に陣地を構え、周辺は激しい地上戦の最前線となっていました。
富盛の石彫大獅子には弾痕の跡を残しつつも、毅然とした状態で八重瀬町の住民をしっかりと見守っています。
富盛の石彫大獅子の歴史
沖縄本島南部、東風平町富盛にある「石彫大獅子」が写るこの写真は沖縄戦に関する写真集に必ずと言っていいほど登場する写真です。
この地区を前進したのは米陸軍第96師団第381連隊第1大隊であり、この場所には昭和20年6月11日に到着している。
6月11日は具志頭・八重瀬岳・与座岳・国吉(糸満)の全線で戦線が膠着し、日本軍は最後の主陣地線で激しい抵抗を示した。
381連隊第1大隊も同じ状況で、しばらく戦線は膠着するかと思われたが、翌12日朝に珍しく霧が発生し、381連隊の左に展開する第17連隊が霧に紛れて八重瀬岳台上に進出したことで日本軍の戦線は一気に崩壊へと向かった。
写真中の兵士の目線の先には米軍が「Big Apple」と呼称した八重瀬岳の絶壁がそびえている。
現在では木々に被われてその姿を見ることはできないが、当時のように樹木のない状況ではその頂上部まで距離で500mであったため非常に近距離に感じたであろう?
一部の資料では6月18日の撮影とされているが、6月18日には戦線は八重瀬岳・与座岳を越えて摩文仁付近まで達しており、その点から考えると非常に不自然である。
推測の域は出ないが、残された資料では6月12日の天候は曇りであること、第17連隊が八重瀬岳東側から台上に登ったことで日本軍の戦線が後退したことなどから、この写真は12日に八重瀬岳正面からの攻撃を実施した第381連隊第1大隊の攻撃開始前の偵察及び中隊長等の打ち合わせのシーンではないかと考える。
写真ではわかりにくいが左遠方に砲弾が落下して白煙があがっており、これが日本軍の砲弾だとすれば18日にはすでに砲を全て失っていたことからも18日という状況は想定しにくい。
大獅子に残る弾痕であるが、この痕跡は写真と同じ位置に今でも残っている。
富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)
県指定有形民俗文化財
昭和49年12月2日指定
高さ 141.2cm
全長 175.8cm
この獅子は火除け(火返し)として尚貞王21年(1689)に設置されたもので、フィーザン(火山)といわれる八重瀬嶽に向って蹲踞している。
この獅子が設置される以前は、富盛村では火災が多く、村人はことごとく困ったということが「球陽」尚貞21年の項にくわしく記されている。
今日でも、旧暦10月1日(竃のお願)<防火儀礼>の行事にこの獅子を拝んでいる。
戦前までは、旧暦9月9日(タントゥイ棒)のときに、村の青年たちはこのジリグスクに集まり棒踊りを演じた。
沖縄各地にある、村落祭祀上の目的でつくられた獅子のなかでも、最大最古のもので、民俗資料として貴重なものである。
昭和62年12月10日
沖縄県教育委員会
東風平町教育委員会
富盛の大シーサー(ともりのうふしーさー)
富盛の石彫大獅子の向かう途中にバス停があります。
本数が少なく時間に正確ではない!手を挙げないと止まらないと有名な沖縄のバス停!
大獅子の最寄りバス停のベンチに立てられている大獅子のレプリカは2/3の大きさで作られています。
地元からも大切にされている大獅子はシンボルとも言える存在なのでしょう。
1689年、ここ富盛では火事が多かったことから、風水師・蔡応瑞の教えにより、村人たちが八重瀬岳に向けて勢理城(シリグスク)にシーサーを建てました(「球陽」尚貞21年)。
高さ141cm体長175cm、村落シーサーとしては最大最古。
沖縄のシーサーや風水思想を知る上でとても貴重な存在です。条指定文化財。
このシーサーは実物の約2/3の大きさです。
シーサーの由来
沖縄では獅子のことをシーサーとよびます。
沖縄の方言では、しーしとも呼びます。
シルクロードの時代、西域ではライオンのことを「し」と読んでいたそうです。
中国では、この「し」という音に「獅」の字を当て獅子(しし)と付けたそうです。
ちなみに 「子」については、中国語によく見受けられる敬称で特別な意味はないそうです。
この獅子の文字が沖縄に伝来し、「シーサー」あるいは「シーシ」と沖縄の方言風に発音されていると考えられてるそうです。
観光名所 | 富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし) 勢理城(しりぐすく) |
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住所 | 〒901-0402 沖縄県 島尻郡八重瀬町富盛22 |
電話番号 | 098-998-5225 |
営業時間 | 見学自由 |
駐車場 | あり |