南山城跡とは
糸満ロータリーから約2.5Km東にある糸満市字大里の南山城跡(なんざんじょうせき)に行きました。
南山城跡は琉球史における三山時代に栄えた南山王の居城跡です。
地名から高嶺城(たかみねじょう)・島尻大里城(しまじりおおざとじょう)とも呼ばれます。
地元では南山城跡(なんざんじょうせき)と呼ばれているようです。
現在は城壁と構築物(こうちくぶつ)の一部を残すのみで、遺跡の大半は市立高嶺小学校の敷地内にあります。
かっての南山城跡だったと思われる辺りには、高嶺小学校や高嶺中学校が建てられ、ごく一部のグスク跡が残っています。
入口がちょっとスロープ的な坂になっていて、昔はここにグスクがあったんだなと思いました。
南山城跡内には立派なガジュマルが沢山あり、歴史を感じるような大きな根を伸ばしていました。
沖縄でしか味わえない雰囲気の大きなガジュマルも見所です!
南山城跡の敷地内
一番奥の石段を上がると鳥居があり、その奥に南山神社の拝殿(はいでん)が見えてきます。
南山神社の拝殿には、南山火ヌ神と山川御持火ヌ神、そして神元御持火ヌ神が祀られているそうです。
南山神社の奥、高嶺小学校に隣接した場所に石垣で造られた小高い場所があり、石碑には南山城跡と書かれていました。
南山城跡の石碑がある横側には石で造られた長い拝所(うがんじゅ)がありました。
この拝所は西銘方按司御墓(左側)と山川方按司御墓(右側)なんだそうです。
ガジュマルの木の根元にある拝所は、御名付川(ウナチキガー)、ウナザラヌ御川と呼ばれているようです。その横に細い階段がありました。階段を上がると、こちらにも拝所がありました。
南山城跡の案内板
南山城跡(なんざんじょうせき)
糸満市教育委員会 平成十三年三月
南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。
15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
1984年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前(びぜん)焼きスリ鉢、鉄鏃(てつぞく)、ガラス製勾玉(まがたま)などが出土しています。
これらの遺物から南山城は13世紀頃に築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。
南山の東方には水豊富な「カデシガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森(わだきなー)」があります。
南山城跡 – Nanzan Castle ruins –
沖縄の歴史の三山時代に栄えた南山王の居城跡。
地元では南山グスクとよばれ、12世紀後半に築かれ、出土した陶磁器などの遺物から、14~15世紀に栄えたグスクであることがわかる。
現在は城壁と遺構の一部を残すのみで、遺跡の大半は市立高嶺小学校の敷地内にある。
観光名所 | 南山城跡(なんざんじょうせき)
南山グスク
南山城(なんざんじょう) 高嶺城(たかみねじょう) 高嶺大里城跡(しまじりおおざとじょうせき) 島尻大里城(しまじりおおざとじょう) |
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住所 | 〒901-0325 沖縄県糸満市字大里1901 |
電話番号 | 098-840-8137(糸満市観光商工課) |
さいこー