沖縄県国頭村にある与那大橋(よなおおはし)は山を回り込むように作られた。
荒波を耐え岸沿いの橋が架設から80年経っても残っている!
国道58号線からも見ることが出来るが、ほぼ崩落状態で残っています。
与那大橋が完全に崩落する前に一度は行ってみたく冒険をしてみようと思います。
名護向けから新与那トンネルの入口手前に広い駐車場があります。
東屋と言う場所に駐車して、旧道を徒歩で歩いて与那大橋(よなおおはし)へと向かいます。
旧道を徒歩で歩いていると目の前には速度制限のペイントが抜け落ちた道路の跡が確認できます。
目の前には、新与那トンネルが出来て使われなくなった「旧:与那トンネル」が見えてきます。
旧:与那トンネルの入口は大きな鉄の壁で塞がれ中は確認できません!厳重に警備されており監視カメラまでありました。
全長159mの旧:与那トンネルは、島酒で有名なヘリオス酒蔵が泡盛貯蔵庫として利用しているみたいです。
旧:与那トンネルの海側へ降りて足場の悪い岩道を先へと進んでいきます。
よじ登る場所が一か所あり、進んでいくと崩壊した道がロゴロゴと見えてきます!
荒波風にさらされ道のコンクリートが剥がれて、黒い岩肌は道にした時に削った跡が見えています!
そして、崩壊寸前の与那大橋が見えてきました。
途中から橋の部分は完全に崩落し海と岩場に変わっています。
与那大橋の海は綺麗で、魚も目で確認できる透明度!
ですが今回は迫力ある荒波が打ち寄せていました!
この場所の海は「うねり」が有る地域で、釣り人しかやってきません。
昔は事故などもあったみたいですが、風もそんなに無いのに、この波の荒さは凄く間違えば事故も起きますね!
新与那トンネルの歴史
国頭村の与那(よな)は小さな集落ですが、600年上の歴史があると言われています。
山が海に迫せまり、耕地(こうち)は少ないという典型的なやんばる集落の特徴を持っていて、与那の道の歴史はそのままやんばるの道の移り変わりを表すとも言えます。
与那の高坂(たかひら)は、 戻る道や座津武ざつんと合わせて、国頭村の三大交通難所に数えられました。
急で険けわしい登り坂が1キロほど続く高坂は、王府時代の宿道(しゅくみち)の一部で、小学校のある辺土名(へんとな)へ向かうためには徒歩で行くしかありませんでした。
1917年(大正6年)国頭村道として海岸斜面の中ほどに、荷馬車(にばしゃ)が通れる広さの道が開通し、この山道は中道(なかみち)とよばれていました。
ですが自動車が通れるほどの道の広さにはおよびません!
1935年(昭和年)になると海岸沿いを回る「県道」が開通しました。
道幅は5メートルで、この時点で初めてバスの通行も可能になりました。
ですが海岸沿いを通る道のため、天候が荒れると高波が押し寄せてきます!
冬場は約10メートル程の波が押しよせる地点が数か所もあったようで、死亡事故などもあったようです。
集落に住む人々は辺土名にいくたび、波が引いたあいまを見計らいながら道を駆け抜ぬけていたそうです。
1973年(昭和48年)に与那トンネルが開通しました。
これまでのように通行する人が危険にさらされることはほとんどなくなり、生活道路、産業道路として利用されるようになりました。
トンネルの北側の道は風浪(ふうろう)が激しく山側のがけが崩れる危険性があり、通行規制区間として指定されていました。
地域の生活基盤を支える国道としては、まだ不安の残る部分があったのかと言えます!
そして、問題を解消するため「新与那トンネル」が新しく作れる。
1991年(平成3年)に新与那トンネルの工事が始まり、それまでのルートよりも山側を通るよう計画されたのは波による危険を減らすためでした。
トンネルは3年がかりの工事となり、1994年(平成6)年に完成。
延長はそれまでの159メートルから559メートル(幅員6.5メートル)と格段に広く作られています。
トンネル内は、オレンジの照明が設置され、より安全な車の走行ができるようになりました。
5回の困難を乗り越え、完成した歴史ある道と言えるでしょう。
与那の道の移り変わり
内閣府沖縄総合事務局 北部国道事務所 /
国頭村役場 / 与那区
国頭村与那集落は、山間の平坦地に形成された集落で、周囲は山が海に迫る典型的なやんばる集落の特徴を持ち、交通の難所となっていました。
明治14年、第二代沖縄県令のやんばる視察の際に記録した「上杉県令沖縄本島巡回日誌」にもその険しさが記されています。(※文末の「上杉県令沖縄本島巡回日誌より」の要約参照)
当時、隣の伊地集落とを結ぶ道は、獣道を踏み固めただけの険峻な坂道で、往来には困難をきたしていました。
この道は、琉球王国時代からの宿道で「高坂(たかひら)」と呼ばれ、大正の初期まで利用されており、その道の状況は琉歌の「与那節」にも詠まれています。
大正6年には「高坂」の海側、グナン原斜面中腹に近隣の青年によって新しく村道が造られ、その道は「中道(なかみち)」と呼ばれていました。しかし、道幅が狭く勾配が急で、 荷馬車がやっと通れる程の道でした。
さらに昭和5年、沖縄県振興15箇年計画案に基づいて「辺土名」から「奥」間の県道工事が実施され、「グナン」及び「ガンセキ」を通る海岸側に昭和8年 「よなおうはし」が架かり、車の通行が可能な県道が開通しました。ところが、岩石の崩落や高波により人や車が流されるなどの被害が多く出て改善が求められていました。
そのため、昭和48年に「与那トンネル」 (延長159m) を含む道路が開通しました。そして昭和58年度から国道58号として国による道路管理が行なわれるようになりましたが、トンネルの前後は相変わらず大雨や台風などの時には、越波や土砂崩れなどの危険性があるため通行規制区間に指定されていました。
こうした問題の解消を図るため、防災事業として平成元年度より新たな道路整備が進められ、「新与那トンネル」 (延長559m) を含む現在の道路が平成7年2月に開通しました。 これにより安全性・利便性が向上し、地域の生活基盤を支える幹線道路として利用されています。
このように、当地域は明治・大正・昭和・平成に渡り5回も道が移り変わり、それぞれの道は、明治・大正期の徒歩道、昭和時代からの車道等、その時々の歴史や文化を映したものとなっています。道づくりに使用した機材も鍬やツルハシから発破、巨大建設機械へと変化したその移り変わりを通して、道が地域とともに歩んできた歴史を感じることができます。
※上杉県令沖縄本島巡回日誌より
明治14年11月23日の『上杉県令沖縄本島巡回日誌』で、伊地集落から与那集落へ向かう途中「山路愈上ル、七折尽テ又九折、・・・坂ヲ下ル、険悪奇峻山中二薯圃アレハ、転チ猪垣ヲ見ル、坂ヲ下リ尽シテ、衝門アリ」と記している。
(要約:山路を登るには、七つ曲がり尽くしてもまた九つ曲がる・・・ 坂を下りながら、険しく急峻な山中に芋畑があり猪垣が囲んでいる、坂を下り尽くすと垣の門がある。)
琉歌 与那節
与那の高ひらや 汗はてどのぼる 無蔵と二人なりば 一足なから
【解説】与那の急坂は汗を流して登るとても難儀な山道であるが、愛しい人と一緒なら一足ほどのものである。
与那大橋の動画
与那大橋の行き方を動画にしてみました。
| 名所 | 与那大橋(よなおおはし) |
|---|---|
| 住所 | 〒905-1427 沖縄県国頭郡国頭村与那 |
| 駐車場 | あり ※トンネル入る手前にあります |
| 備考 | 夏場は熱中症に気を付けて飲水を持参しましょう! |
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