奥共同店(おくきょうどうてん)

沖縄のメインストリート国道58号線起点の売店の外観

売店の外観

国道58号線0起点から車で辺戸岬向けに戻るように進んでいくと、右側に奥共同店(おくきょうどうてん)が見えてきます。
ここでは、沖縄らしい珍しいはがきが手に入ります。
奥共同店のレジにて、店員さんに「奥起点到達の証明書ください」と言えば100円で販売発行してくれます。

奥共同店(おくきょうどうてん)

国道58号線起点の石碑

奥共同店の店員に聞くと奥集落の生活化に繋がるものは無いかと住民で考えたのが、国道58号0起点到達証明書の発行が決まったそうです。
せっかくの遠出ですから是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

奥共同店(おくきょうどうてん)の郵便はがき

沖縄のメインストリート国道58号線起点の郵便はがき

共同売店について

共同売店の一号店は、1906年に国頭村の奥という集落にできた、奥共同店である。
まず、この奥共同店ができた1906年の国頭村の様子について説明する。

奥共同店(おくきょうどうてん)の平和・共同の石碑

奥共同店 平和・共同の石碑

国頭村は沖縄本島最北端の村で、奥集落は、その中でも北に位置している。
山原(沖縄県北部)には、国頭山地が島に沿って走っており、しかも、その山は海岸まで迫っていることが多い。

そのため、山原の集落の多くは、国頭山地から流れる川の河口付近にある、わずかな平地に点在している。
このように、奥を含め、山原の集落は、山に阻まれた、陸路が大変不便なところにあった。

そのため、経済の中心地である那覇との物資の交流は、もっぱら「山原船」と呼ばれる交易船に頼っていた。
山原船の主な役割は、那覇などの南部地域で日用雑貨等を購入し、山原地域に運び、山原地域の生産物を南部地域に送ることである。

このようにして、中心都市がある南部地域と、山に阻まれた山原地域との間での物資の運搬は行われていたのだ。
奥共同店の誕生については諸説あるのだが、堂前(1997)は「奥集落には当時マチヤ(町屋)と呼ばれる小さな雑貨商を営む者が2人おり、1人は代々奥に定住している糸満盛邦であり、他は外来者であった。

小さな貧しい村落で2つのマチヤの競合は、村落共同体の破壊をも意味していた。
結局、糸満盛邦が自分のマチヤを字に譲渡して、共同店を設立することによって外来者を追放し、村落共同体の秩序を防衛したといわれる」と述べている。

また、金城(2003)は、「糸満盛邦はもともとの土着の人ではなく、外から来た人である」としながらも、「与那原出身の商人と拮抗関係にあったため、糸満盛邦は自分の商店の財産をみな部落に寄付して共同店をつくった」とし、堂前の説と似通っているところがある。
さらに、奥共同店創立 80 周年の記念碑には、「糸満盛邦翁は安政元年に生まれ、昭和14年84歳で没した。

同氏は公共心に厚く、生前自ら営んでいた店の利益が大なることを認め、それを何とか字民共同の事業とすべく、時の有志と諮り字民の多大の賛同を得て同氏の雑貨店を引継ぎ、明治39年春、奥共同店として産声をあげた。
そして同氏は自ら同店の監督として、その基礎づくりと発展に尽くされた。
共同店創立80周年記念にあたり、その功績を讃えこの碑を建立する」とある。

店名 奥共同店(おくきょうどうてん)
住所 〒905-1501
沖縄県国頭郡国頭村奥113
電話番号 0980-41-8101
営業時間 7:00~19:00(4月~9月)
7:00~18:00(10月~3月)
定休日 第3水曜日休み
駐車場 あり

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