御殿山(うどぅんやま)

御殿山(うどぅんやま)

御殿山(うどぅんやま)

今回は与那原町の御殿山(うどぅんやま)というパワースポットに行ってきました。
御殿山(うどぅんやま)は、与那原町コミュニティーセンターの裏側に位置します。

御殿山(うどぅんやま)与那原町コミュニティーセンター

与那原町コミュニティーセンター

与那原町コミュニティーセンターに駐車し、建物とその横に広がる広場の間を進んで行くと、川沿いに祠のようなものが見えてきます
川沿いにこっそりと身を潜めるように、御殿山(うどぅんやま)はありました。

御殿山(うどぅんやま)の風景

御殿山の風景

御殿山(うどぅんやま)与那原町コミュニティーセンター駐車場

与那原町コミュニティーセンター駐車場

御殿山(うどぅんやま)の左側

御殿山の左側

御殿山(うどぅんやま)史跡

史跡 御殿山(うどぅんやま)

御殿山(うどぅんやま)拝所

御殿山 拝所

ここは戦前まえ、立派なお宮があったといいますが今では少し寂しいたたずまいです。

御殿山(うどぅんやま)とは?

御殿山(うどぅんやま)のある場所は、昔、海辺だったことから浜の御殿とも呼ばれていました。
琉球国由来記によると、この御殿山にはアマオレツカサと言う神が祀られていて、天女が舞い降りた場所とも記されています。

王や聞得大君(きこえおおぎみ)が園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)を出てから、最初に寄るのがこの御殿山です。
聞得大君の御新下り(おあらおりの時には首里城から出て初めての休息地になり、仮御殿も建てられたそうです。

国王や聞得大君の聖なる島・久高島参詣の発着地でもあります。
なお、「御殿(うどぅん)」とは、王子、按司(あじ)の邸宅のことで、そのまま按司家を指す尊称にも使われました。

按司は、もともとは地方の首長やその家族など、支配者階級にある人物の称号でしたが、第二尚氏王統下になると、王子に次ぐ王族の称号へと変わっていきました。
按司(あんじ)とも読みます。按司(あんじ)はアルジが転訛したもと思われます。

御殿山(うどぅんやま)と案内板

御殿山と案内板

御殿山(うどぅんやま)世待橋(ゆむちばし)

世待橋(ゆむちばし)

御殿山(うどぅんやま)の案内板

御殿山(うどぅんやま)案内板

御殿山の案内板

名前の由来は、山原から首里の御殿に納める木材の置場に指定されたことによる。
オモロでは「よなははま きこゑ 大きみ やちよ かけて と よまさに 又 あきりくち とよむ大きみ やちよ」とうたわれている。
「球陽・遣老説伝」に「漂流の大君加那志(おおぎみかなし)」として由来がのっており、戦前は立派なお宮があり、尚家の人々が年一度お参りしていたといわれる。
聞得大君(きこえおおぎみ)の御新下り(うあらう)りの際には最初の休息地となり御仮家が設けられた場所である。
現在も町の行事や東御廻り(あがりまうーい)のコースにもなっている。

名所 御殿山(うどぅんやま)
住所 〒901-1303
沖縄県島尻郡与那原町与那原658
電話番号 098-835-8220
営業時間 見学自由
駐車場 与那原町コミュニティーセンターの駐車場

東御廻り(あがりうまーい)の由来

「東御廻り」とは。沖縄民族の祖先「アマミキヨ族」が住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地巡拝行事です。 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡拝を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。

東御廻りに癒やしを求めて

古来より沖縄では太陽の昇る東方(あがり)と呼び、そこは理想郷のある神聖なる方角であると考えられていました。 東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事の事です。 起源は国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。 現在伝えられている東御廻りのコースは琉球王国が、国家的祭祀ルートとして指定したものです。 最近では心と体を癒すための自己発見の道しるべや健康的なレクリエーションとして東御廻りをする方々が増えてきているそうです。 因みに、東御廻りコースは14ヶ所あります。

14箇所の東御廻り一覧

東御廻りの一覧をまとめてみました。興味がある方はどうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか? ※沖縄県の大切なパワースポットです、汚したり荒らしたりしないようにしましょう

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