テダ御川は国道331号線から知名海岸の知名崎の奥に位置します。
知名崎の聖地で太陽神がここに降臨(こうりん)したと伝えられる事から、テダ(太陽)の名がつけられました。
琉球国王が久高島に渡る際に、テダ御川の湧き水を飲み休息をとり、ノロたちは航海の安全祈願をしたと言われています。
テダ御川(てだうっかー)とは
「テダ」とは太陽を意味する言葉で、ここでは琉球国王を指します。その昔、国王が麦の初穂祭に久高島(くだかじま)を参拝する途中、この地で豊かに湧き出る水をいただき休息をとりました。そして海上の無事を祈ったのです。テダ御川は東御廻りの聖地として、今でも人々から崇められています。
南城市指定史跡。
テダ御川は遊歩道の終点に位置していて、約300mほど歩いていきます。
しばらく歩いていくと手前の遊歩道上に大きな岩があるのが見えてきます。
大きな岩を通り過ぎると、テダ御川の石碑が見えてきます。
かつては豊かな水があふれていたが、昭和初期の近隣の採石のため泉は涸れてしまいました。
しかし今でも最高の聖地のひとつとして人々から崇められている。
石碑がおいてある場所を拝井泉(ウガミガー)といい、湧き水が湧いていた場所です。
テダ御川の石碑が立つ場所の斜め横にある岩の側面には、うてだうか水神と刻まれています。
現在でも時期がくると、知名・板間の両集落の人々が拝井泉(ウガミガー)を行なっているそうです。
1982年に知念村の史跡に指定され、現在も南城市の史跡に指定されています。
拝井泉(ウガミガー)とは
水は人間が生活していく上で大切なものです。
人々は湧き水・川・ため池などのある場所を求めて、集まり村をつくりました。
先祖が使用していた、井泉やため池などを拝井泉(ウガミガー)といいす。
その水の霊力によって生命が与えられているとの信仰から、水に感謝する祭祀が行われてきました。
子供の出産のときには産井泉(ウブガー)からくんできた水を火の神(ヒヌカン)に捧げ、産まれた子のひたいにつけました。
また正月元旦には産井泉(ウブガー)の水をくんで家族のひたいにつけ、その水で顔を洗い健康を祈っていたそうです。
テダ御川(てだうっかー)の案内板
知念村指定文化財第四号
昭和五十七年三月三十一日指定
テダ御川
国王が久高島渡島のとき飲料水の補給をし、また、知名崎通過の際海上無事を祈った霊泉だといわれている。
園比屋武御嶽から始まる「東り廻い」の巡拝地でもある。
昭和八年頃までは清水が湧き出る泉であったが、後方の知名城の山から国会議事堂の建築にも使用されたトラバーチン(石材)が産出し、一帯は採石場となった。
そのため知名城の山は崩壊し現在では湧水も涸れてしまっている。
平成二年三月一日知念村教育委員会
テダ御川(てだうっかー)の散歩道
名所 | テダ御川(てだうっかー) |
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住所 | 〒901-1513 沖縄県南城市知念知名1172 |
電話番号 | 098-948-7124 |
駐車場 | あり |
東御廻り(あがりうまーい)の由来
「東御廻り」とは。沖縄民族の祖先「アマミキヨ族」が住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地巡拝行事です。 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡拝を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。東御廻りに癒やしを求めて
古来より沖縄では太陽の昇る東方(あがり)と呼び、そこは理想郷のある神聖なる方角であると考えられていました。 東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事の事です。 起源は国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。 現在伝えられている東御廻りのコースは琉球王国が、国家的祭祀ルートとして指定したものです。 最近では心と体を癒すための自己発見の道しるべや健康的なレクリエーションとして東御廻りをする方々が増えてきているそうです。 因みに、東御廻りコースは14ヶ所あります。14箇所の東御廻り一覧
東御廻りの一覧をまとめてみました。興味がある方はどうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか?- 1.園比屋武御嶽(そのひゃんうたき) いにしえより国家行事や祭祀と密着。国王も聞得大君も道中の安全をここで祈念して出発したといわれている、東御廻りの第1番目の拝所。
- 2.御殿山(うどぅんやま) 与那原親川(よなばるうぇーがー)は御水撫でや東御廻りの御用水が汲み上げられた霊泉。御殿山に舞い降りた天女の御子の産井とも伝えられ、人々の憩いの場としても親しまれる。
- 3.親川(うぇーがー)与那原親川(よなばるうぇーがー) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 4.場天御嶽(ばてんうたき) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 5.佐敷上グスク(さしきがみぐすく) 尚思招・尚巴志父子によって築かれ、居城とされた。グスク跡には、尚巴志の一族を祀ったつきしろの宮が建立されている。別名「上グスク」
- 6.テダ御川(てだうっかー) 太陽神が降臨した霊泉といわれている。国王や聞得大君が久高島参詣のときには、祝女(ノロ)たちが航海安全を祈願してオモロを謡い祈った。
- 7.斎場御嶽(せーふぁうたき) 琉球の精神文化の象徴であるといわれる琉球開びゃく七御嶽のひとつ。聞得大君の即位儀礼・御新下りが行われた、東御廻り最高の聖地。
- 8.知念グスク(ちねんぐすく) 沖縄最古の歌謡集・おもろさうしにも謡われた、正門・裏門の石造りのアーチ門が美しいグスク。城内の友利御之嶽(とむいぬたき)が、東御廻りの拝所。
- 9.知念大川(ちねんうっかー) 知念グスクの西側入口にある井泉。玉城の受水・送水とともに、アマミキヨが稲をこの地に初めて植えたという稲作発祥の地として知られる。
- 10.受水走水(うきんじゅはいんじゅ) 緑の中でこんこんと湧き出る2つの泉と神田。琉球における稲作発祥伝説の舞台では現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
- 11.ヤハラヅカサ アマミキヨが本島に降り立った、その最初の地と伝えられている。石碑は満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現す。
- 12.浜川御嶽(はまがーうたき) アマミキヨが仮住まいをした地。王府の東御廻りの地。
- 13.ミントン城跡(みんとんぐすく) アマミキヨが丘陵部へ進出して開いた安住の地と伝えられる。普通にいうグスクより祭祠遺跡として名高い、古代からの聖地と言われています。
- 14.玉城グスク(たまぐすくぐすく) 別名(アマツヅグスク)とも呼ばれる、アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつ。本丸門はニライカナイに通じると伝えられている