知念城跡は、神話の中に登場する「天孫氏」によって築かれたと伝えられるグスクである。
天孫氏は琉球の歴史書に度々登場し、琉球最初の王統とされる氏族である。
城の詳しい創建についての詳細は分かっていないが、かなり古い時代から存在しており17世紀末に改築されたと考えられている。
知念城跡は西側の切石積になった新城の「ミーグスク」と、東側の高台にある古城の「クーグスク」とよばれる2つの郭からできている。
ミーグスクは二つの門と自然石を高さ2メートル前後まで野面積みにした城壁があり、12世紀末~13世紀頃、天孫氏時代に築城されたと考えられている。
クーグスクは切石を相方積みにしたもので、三山時代の尚真王代に内間大親に造られたと考えらえている。
城跡内には1761年から1903年に至るまでの間、知念間切の番所、いわゆる役所が置かれていた時代もあった。
知念城跡は現在では史跡跡整備事業が進められており、特に18世紀ころの様々な資料が確認されており今後の解明が期待されている。
沖縄最古の古謡集「おもろさうし」にもうたわれ、琉球王国時代から続く、聖地巡礼「東御廻り(アガリウマーイ)」の拝所のひとつでもある。
アーチ門の切り石積みのミーグスク(新城)と自然石を積んだクーグスク(古城)とよばれる2つの郭からできている。
知念グスク(ちねんぐすく)案内板
「知念(ちねん)城跡 国指定史跡…知念城跡は、ミーグスク(新城)とクーグスク(古城)とよばれる二つの郭からできています。クーグスクは古い野面積みで囲まれ、一番高い岩山の上に立地しています。ミーグスクは、二つの門と石垣で囲まれた郭です。正門を入ると、『火の神』が祀られている小さな祠がみえ、さらにその奥には『友利御嶽(ともりうたき)』があります。友利とは、『名高く尊い』という意味があります。 知念城跡内には、1761年から1903年に至るまでの間、知念番所(ちねんばんじょ、間切の役所)が置かれました。現在の火の神は、番所が移動した後に地域の人々が祠をつくり、祀ったものです。 この御嶽や火の神には、地元だけでなく県内全域からの参拝客も多く訪れ、東御廻り(アガリウマーイ)の拝所となっています。 知念城跡では、現在史跡整備事業を進めており、それに伴う調査で18世紀を中心とした様々な資料が確認されています。 昭和47年5月15日指定 沖縄県南城市教育委員会」
知知念城跡案内板
「史跡 知念城跡 昭和47年5月15日…この城は、二つの部分からなっています。一つは東南部の古城で高所に1~2メートルの野面積みの石垣で囲まれ、内部はうっそうとした森となっています。ここは『おもろさうし』に『ちゑねんもりぐすく』と謡われた霊場です。この古城の西方に高さ3メートルの切石積の城壁をめぐらした新城が連なります。城壁の東に正門、北に裏門とアーチ形の城門をひらき、郭内には、沖縄の開闢伝説で名高い久高島の遙拝所があります。 この新城は尚真王の異母兄弟にあたる内間大親が築いたといわれていますが、真偽は不明です。知念城は古くは代々の知念按司の居城でもあったと思われますが、それがたんなる城郭ではなく、『あまみきよ』の伝説と尚真王の権威とが結びついたいわば宗教的城という意味で重要です。 沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日」
名所 | 知念グスク(ちねんぐすく) |
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住所 | 〒901-1501 沖縄県南城市知念知念 知念字知念 |
電話番号 | 098-946-8990 |
営業時間 | 見学自由 |
駐車場 | あり |
東御廻り(あがりうまーい)の由来
「東御廻り」とは。沖縄民族の祖先「アマミキヨ族」が住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地巡拝行事です。 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡拝を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。東御廻りに癒やしを求めて
古来より沖縄では太陽の昇る東方(あがり)と呼び、そこは理想郷のある神聖なる方角であると考えられていました。 東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事の事です。 起源は国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。 現在伝えられている東御廻りのコースは琉球王国が、国家的祭祀ルートとして指定したものです。 最近では心と体を癒すための自己発見の道しるべや健康的なレクリエーションとして東御廻りをする方々が増えてきているそうです。 因みに、東御廻りコースは14ヶ所あります。14箇所の東御廻り一覧
東御廻りの一覧をまとめてみました。興味がある方はどうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか?- 1.園比屋武御嶽(そのひゃんうたき) いにしえより国家行事や祭祀と密着。国王も聞得大君も道中の安全をここで祈念して出発したといわれている、東御廻りの第1番目の拝所。
- 2.御殿山(うどぅんやま) 与那原親川(よなばるうぇーがー)は御水撫でや東御廻りの御用水が汲み上げられた霊泉。御殿山に舞い降りた天女の御子の産井とも伝えられ、人々の憩いの場としても親しまれる。
- 3.親川(うぇーがー)与那原親川(よなばるうぇーがー) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 4.場天御嶽(ばてんうたき) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 5.佐敷上グスク(さしきがみぐすく) 尚思招・尚巴志父子によって築かれ、居城とされた。グスク跡には、尚巴志の一族を祀ったつきしろの宮が建立されている。別名「上グスク」
- 6.テダ御川(てだうっかー) 太陽神が降臨した霊泉といわれている。国王や聞得大君が久高島参詣のときには、祝女(ノロ)たちが航海安全を祈願してオモロを謡い祈った。
- 7.斎場御嶽(せーふぁうたき) 琉球の精神文化の象徴であるといわれる琉球開びゃく七御嶽のひとつ。聞得大君の即位儀礼・御新下りが行われた、東御廻り最高の聖地。
- 8.知念グスク(ちねんぐすく) 沖縄最古の歌謡集・おもろさうしにも謡われた、正門・裏門の石造りのアーチ門が美しいグスク。城内の友利御之嶽(とむいぬたき)が、東御廻りの拝所。
- 9.知念大川(ちねんうっかー) 知念グスクの西側入口にある井泉。玉城の受水・送水とともに、アマミキヨが稲をこの地に初めて植えたという稲作発祥の地として知られる。
- 10.受水走水(うきんじゅはいんじゅ) 緑の中でこんこんと湧き出る2つの泉と神田。琉球における稲作発祥伝説の舞台では現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
- 11.ヤハラヅカサ アマミキヨが本島に降り立った、その最初の地と伝えられている。石碑は満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現す。
- 12.浜川御嶽(はまがーうたき) アマミキヨが仮住まいをした地。王府の東御廻りの地。
- 13.ミントン城跡(みんとんぐすく) アマミキヨが丘陵部へ進出して開いた安住の地と伝えられる。普通にいうグスクより祭祠遺跡として名高い、古代からの聖地と言われています。
- 14.玉城グスク(たまぐすくぐすく) 別名(アマツヅグスク)とも呼ばれる、アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつ。本丸門はニライカナイに通じると伝えられている