世界遺産 座喜味城跡
沖縄県中部・読谷村(よみたんそん)に座喜味城跡は位置します
2000年11月に座喜味城跡・首里城跡などとともに世界遺産に登録されました
沖縄の世界遺産には城跡関係がいくつかありますが、座喜味城跡はその中でも規模が比較的小さめです
築城家として名高い護佐丸(ごさまる)によって、15世紀初頭ごろに築城されたといわれている座喜味城跡は最高傑作ともいわれています
城壁の美しさは素晴らしく丁寧な積み方がされています
アーチ型の城門と美しいカーブを描く城壁は他のグスクと共通しますが、城門の頂部に楔石(くさびいし)が埋められているのが特徴です
沖縄戦前には日本軍の砲台や戦後には米軍のレーダー基地が置かれたため一部の城壁が破壊され、城壁の復元が行われています
駐車場に車を停めて正面から入ると、まず茅葺の高倉が目に付きます
昭和51年に沖永良部島から移築したと言うことですが、平成19年に台風被害にあって一部新たに復元されています
階段を上がると、まっすぐな琉球松の並木道が城跡入口まで出迎えてくれます
二の郭への石門と二の郭物見台
座喜味城跡のアーチ門は古い形態とされいて、城の見所の一つです
一の郭への階段と石門
二個目の城門もアーチ型で、ここにも楔石(くさびいし)が埋められているのが特徴です
こちらも座喜味城跡ならではの美しいカーブを描く城壁が見られます
座喜味城跡は要塞と言われていますが、芸術作品と言っても過言ではありません
一の郭城壁からは西海岸の海や街並みが見渡せます
一の郭の城壁上は一周できるわけではなく、限られた場所だけが立ち入りが許可されています
天気がいい日は慶良間諸島が見渡せ、夕焼けが水平線に沈んでいく光景が感動的です
見学は無料で、座喜味城跡の資料館もあります。
施設内容
15世紀初頭の城としては中規模の面積。
城郭の外周 | 365m |
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城郭内面積 | 7,385㎡ |
座喜味城跡の案内板
国指定史跡 史跡座喜味城跡
座喜味城は、15世紀の初頭、築城家としても名高い護佐丸(ごさまる)によって築かれたといわれる。
護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスク(=城)に居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志(ちゅうざんしょうはし)の北山城攻略(ほくざんじょうこうりゃく)に参戦、北山攻略後は戦後処理のため、一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。
国王の居城である首里城と緊密な連携を図るという防衛上の必要性から、首里城より眺望可能な丘陵上に立地し、北山が滅びた後も沖縄本島西海岸一帯に残存していた旧北山勢力を監視するという役目を担っていた。
城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120mあまりの名護層からなる台地を石灰岩の切石積(きりいしづみ)で取り囲んで築かれており、城は二つの郭からなる連郭式(れんかくしき)の形態になっている。
城郭内の面積は約4012㎡で、沖縄のグスクとしては中規模である。
この城は一の郭と二の郭に分かれており、アーチの門がそれぞれ一つずつ造られている。
座喜味城跡は1972年の沖縄本土復帰に伴って国の史跡に指定され、翌年の10月から沖縄県で初めて史跡整備事業が文化庁と県の補助を受けて開始された。
整備事業に伴う遺構発掘調査がなされた結果出土した遺物は、グスク系土器と須恵器(すえき)が少量、中国製陶磁器や古銭などがあり、これらの出土品中最も多いのは中国製の青磁と陶器で、これらの中国陶磁からみると、15世紀から16世紀までのものが見られることから、座喜味城は護佐丸が1440年に中城城へ移った後も使用されていたと考えられる。
遺構については一の郭の北側に間口約17m、奥行き約15mの石組が発掘され、この中に建物が立っていたと思われる。
しかし瓦などは出土しないことから、屋根は板葺きか茅葺の建物であったと推定され、また一の郭内の南側では城壁を作る以前の柱穴(ちゅうけつ)群も発見され、出土遺物からそれほどの時代差はないものの、一の郭内において二つの時期の遺構が確認された。
城跡は第二次世界大戦において、一の郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたが、整備の始まった翌年返還された。
城壁は1982年に修復を完了した。
城壁の上に立つと首里、那覇をはじめ本島西側本部半島や東シナ海に浮かぶ慶良間諸島、久米島、伊江島、伊平屋諸島が眺望できる要害の地にある。
(1972年5月15日指定国指定)
観光名所 | 座喜味城跡 |
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住所 | 〒904-0301 沖縄県中頭郡読谷村座喜味708-6 |
電話番号 | 098-958-3141 (読谷村立歴史民俗資料館) |
入場料 | 無料 |