宮城島の静寂を味わう絶景スポット「シヌグ堂バンタ」へ。自然と祈りが重なる島の聖域

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)とは

沖縄本島から海中道路を渡り、平安座島・宮城島へと進むと、観光地化されていない“静けさの絶景”が残る場所があります。
それが、宮城島の高台に位置するシヌグ堂バンタ。

ここは、島の祭祀「シヌグ」が行われた“シヌグ堂”の近くにあり、古くから祈りの場として大切にされてきた場所です。
観光案内の看板も少なく整備も最小限。
だからこそ、島の原風景と自然の気配がそのまま残り、訪れる人を静かに迎えてくれます。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどういせき)歌碑高離節

シヌグ堂バンタ(しぬぐどういせき)歌碑高離節

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)進路

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)進路

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

自然の崖と祈りの場が重なる特別な場所

「シヌグ堂」は豊年祈願の祭祀を行う場所、「バンタ」は沖縄方言で“崖”を意味します。
その名の通り、祭祀の場の近くにある崖の展望地で、島の人々の生活と祈りが息づいてきた場所です。
標高約100mの高台に位置し、宮城島の中央部から海へ向かって切り立つ崖は迫力があり、自然の力強さを感じさせます。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)は絶景だけではなく、シヌグ堂遺跡といったスポットもあります。
シヌグ堂遺跡は縄文時代の生活の様子が発見された場所で、貝塚時代中期「縄文時代後期」の遺跡と思われ、炭素年代測定により約3000年前とされています。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

崖の上から広がるパノラマビュー

シヌグ堂バンタの魅力は、なんといっても島を俯瞰するパノラマの景色。

・伊計島まで続く島々の連なり
・宮城島の集落
・遥か遠くまで伸びる太平洋の水平線

晴れた午前中は海の青が最も鮮やかで、光が海面に反射してキラキラと輝きます。
風が強い日は、崖にぶつかる風の音が響き、自然の力を全身で感じられるほど。
観光客が少ないため、視界も音も独り占めできる贅沢な時間が流れます。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

現地の雰囲気、手つかずの自然がそのまま残る

展望地は小さな広場のようになっており、草の匂い、潮風、鳥の声が混ざり合う“島の原風景”が広がります。
足元は岩場が多く、風化した地形がそのまま残っているため、自然の荒々しさも感じられます。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の駐車場

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の駐車場

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)石碑

シヌグ堂バンタ高離節の歌碑

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

駐車スペースは未舗装で、島の生活道路の延長のような素朴さ。
観光地らしい賑わいはなく、静けさの中でゆっくりと景色を味わえる場所です。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の絶景

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の絶景

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

注意点(安全に楽しむために)

・足元は岩場で滑りやすい場所あり
・柵はあるが、強風時は近づきすぎない
・トイレ・売店なし
・ゴミは必ず持ち帰る
・駐車場は狭いため、混雑時は時間をずらすと快適
観光地化されていないからこそ、訪れる人のマナーが大切になります。

静寂の絶景を味わえる、宮城島の隠れスポット

シヌグ堂バンタは、「自然の力強さ」「島の
祈り」「手つかずの景観」この3つが重なる、宮城島ならではの特別な場所です。
派手さはないけれど、静かに心に残る絶景。
観光地化されていないからこそ味わえる“島の素顔”がここにはあります。
宮城島を訪れるなら、ぜひ一度立ち寄ってほしいスポットです。

シヌグ堂バンタにある碑文

この付近の地名をシヌグ堂という。一郭には、宮城島(高離島)の先住の民たちが暮らしたシヌグ堂遺跡がある。この地に高離節という琉球古典音曲と共に伝わる琉歌の碑を建てることとなった。
歌の作者は、近世沖縄の和文学者として名高い平敷屋朝敏の妻・真亀(まがめ=1700~1739年)と伝わる。

タカハナリジマヤ ムヌシラシドゥクル ナムヌシヤビタン ワタチタボリ(音表記)
真亀は、夫・朝敏が王府によって処刑されたことに伴い、士族の身分を追われて農民へと落とされた。王都首里から下り下って、真亀が宮城島と結びついたのは奇遇としかないけれど、私たちはこの不思議な縁を大切にしたいと考えた。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

1700年代の沖縄。時勢は暗くまさに激流のごとくであったと言うべきである。貧しい中で接してくれた島の人々。
そのムヌシラシに対する感謝の念と、海の向こうにワタッテ、イキタイ切なる願い!

ナ、ムヌシヤビタンと悟ってはみても、人の母胎たる〈故郷〉への思いだけは遂に消し去ることは出来なかったのである。
文学と政治と島と農民たち。真亀と、島の先人たちの辛苦の時代を解きほぐしながら、高離節の軽やかなテンポに合せて沖縄の明るい未来について一考を巡らしてみるもよし。

この歌碑が、一名〈もの知らせの碑〉として永く後世に語り継がれることを念願する。
2002年8月11日「高離節」歌碑建立期成会

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)碑文

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)碑文

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)案内板

シヌグ堂バンタ案内板

シヌグ堂遺跡

シヌグ堂遺跡は、宮城島の標高約100mの台地に位置しています。
その東側の崖下には島最大の湧き水であるヤンガーがあり、遺跡に暮らしていた古代人にも重要な場所であったと考えられます。
この遺跡は1933年(昭和8年)に沖縄考古学の父・多和田真淳(たわだしんじゅん)によって発見され、「シヌグ堂貝塚」と名づけられました。
その後は沖縄大学沖縄学生文化協会による表面調査や沖縄県教育委員会の本格的な発掘調査で、約2,500年前の40軒を超える竪穴住居跡が発見され、沖縄県最大の集落とわかりました。
土器(どき)、石器(せっき)、貝製品(かいせいひん)、骨製品等(こっせいひん)が発見されており、現在は埋め戻しをして遺跡を保存しています。

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板の写真

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板の写真

100 meters abobe ground, the Shinugu Shrine Ruins stand high atop a plateau on Miyagiisland. On the eastern of the plateau is a cliff,at the bottom of which is the island’s largest spring yanga. It is believed area was highly imprtant for the ancient people who lived in the ruins.
These ruins were discobered by Shinugu Tawada, the father of Okinawa archeology, and were named Shinugu Shrine Shell Mound in 1933. After some follow-up research by the Student Culture Association of Okinawa University and a full-fledged excavation effor by the Culture Department of the Okinawa Board of Education, and the now known to be the largest village in Okinawa. Various artifacts made from clay, stone, shells,and bones have also been discobered, and the ruins have been returned to the earth where they was found for storage purposes.

シヌグ堂バンタの駐車場

シヌグ堂バンタの駐車スペースは、普通乗用車なら横並びで4台ほど停められる広さがあります。
訪れる人も多くないため、混雑することはほとんどなく、ゆっくりと車を停められるのも嬉しいポイントです。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

観光名所 シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)
シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)
住所 〒904-2424
沖縄県うるま市与那城上原187
営業時間 見学自由
駐車場 あり


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