場天御嶽(ばてんうたき)

場天御嶽(ばてんうたき)

場天御嶽(ばてんうたき)

もともとは琉球王国を建国した尚巴志の祖父、佐銘川大主が伊平屋から移り住んだ住居跡にありましたが、1959年の大雨による崖崩れと地滑りにより住居跡一帯が埋没。一年後にむらの氏神を祀っていたイビの森に移されました。

場天御嶽(ばてんうたき)案内板

場天御嶽(ばてんうたき)案内板

場天御嶽(ばてんうたき)通路

場天御嶽(ばてんうたき)通路

場天御嶽(ばてんうたき)通路

場天御嶽(ばてんうたき)通路

そのときに佐銘川大主住居跡にあった井戸、御天竺神、伊平屋神も一緒にイビの森に移転されている。
豊かに生い茂った緑の中には地元の人が祈りを捧げる姿が見られる。

場天御嶽(ばてんうたき)案内板

琉球を統一した尚巴志の祖父佐銘川大主が、伊平屋島を逃れて移り住んだところです。
元の場所(新里公民館近く)には屋敷跡や井戸・魚網干し場などもありましたが、1959年の大雨による地滑りで埋没し、現在地に移されました。
正月や5月・6月ウマチーに地域や門中によって拝されています。

伊平屋神(いへやがみ)の拝所

場天御嶽

場天御嶽

この伊平屋神の拝所は、ヤマトバンタとも称され、伊平屋島への御通しを行う丘にあった拝所をこちらに移転したもです。
伊平屋神、若しくはクボーノ嶽と称されていました。
琉球国由来記にある下バテンノ嶽とは、この伊平屋神の拝所だと言われていて、神名はコハツカサノ御イベといい、佐銘川大主と大城按司の娘との間に出来た子ども苗代大比屋(なーしるうふや)が生まれたところだと言われています。

イビの森(いびのもり)

イビ御嶽(いびうたき)

イビ御嶽(いびうたき)

もともとイビの森には、むらの氏神(イビの御嶽)が祀られていました。
1959年(昭和34年)のシャーロット台風に伴う豪雨におり、軽石山(通称)付近が崖崩れおよび地滑りをおこし、その際に、佐銘川大主の居住跡一帯が埋没しました。
一年後、佐銘川大主住居跡(場天御嶽)、佐銘川大主住居跡にあった井戸(上場天御井戸、下場天御井戸)、御天竺神(天の神への御通し)、伊平屋神(佐銘川大主の生地である伊平屋島への御通し所で、ヤマトバンタともいう)が、このイビの森に移転されています。
沖縄県南城市教育委員会

名所 場天御嶽(ばてんうたき)
住所 〒901-1400
沖縄県南城市佐敷新里153
電話番号 098-946-8990
営業時間 見学自由
駐車場 なし

東御廻り(あがりうまーい)の由来

「東御廻り」とは。沖縄民族の祖先「アマミキヨ族」が住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地巡拝行事です。 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡拝を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。

東御廻りに癒やしを求めて

古来より沖縄では太陽の昇る東方(あがり)と呼び、そこは理想郷のある神聖なる方角であると考えられていました。 東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事の事です。 起源は国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。 現在伝えられている東御廻りのコースは琉球王国が、国家的祭祀ルートとして指定したものです。 最近では心と体を癒すための自己発見の道しるべや健康的なレクリエーションとして東御廻りをする方々が増えてきているそうです。 因みに、東御廻りコースは14ヶ所あります。

14箇所の東御廻り一覧

東御廻りの一覧をまとめてみました。興味がある方はどうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか? ※沖縄県の大切なパワースポットです、汚したり荒らしたりしないようにしましょう

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