シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)絶景スポット

シヌグ堂バンタ絶景スポット

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の絶景!

うるま市の海中道路と平安座島(へんざじま)を渡り、次の離島の宮城島の高台に位置します。
うるま市には島々がありますが、宮城島はその中でも標高が100mと高い離島となっています。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどういせき)歌碑高離節

シヌグ堂バンタ(しぬぐどういせき)歌碑高離節

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)案内板

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)案内板

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)進路

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)進路

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)敷地内

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)は絶景だけではなく、シヌグ堂遺跡といったスポットもあります。
シヌグ堂遺跡は縄文時代の生活の様子が発見された場所で、貝塚時代中期「縄文時代後期」の遺跡と思われ、炭素年代測定により約3000年前とされています。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)休憩所

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)休憩所

シヌグとは沖縄本島の北部と周辺の離島に伝承されている祭事で、豊作を祈り、村人の健康を願い、邪気を祓う行事だと云う。
そして、バンタは「崖(がけ)」の意味となります。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の絶景

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の絶景

その名の通り、崖からの眺めは宮城島の風景も伊計島までもが、海の向こうに見えます。
ちなみに、宮城島の先にある伊計島(いけいじま)には、復元された竪穴式住居が見られる仲原遺跡(なかばるいせき)があります。

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の駐車場

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)の駐車場

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)石碑

シヌグ堂バンタ高離節の歌碑

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)方位

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)方位

シヌグ堂バンタにある碑文

この付近の地名をシヌグ堂という。一郭には、宮城島(高離島)の先住の民たちが暮らしたシヌグ堂遺跡がある。この地に高離節という琉球古典音曲と共に伝わる琉歌の碑を建てることとなった。
歌の作者は、近世沖縄の和文学者として名高い平敷屋朝敏の妻・真亀(まがめ=1700~1739年)と伝わる。

タカハナリジマヤ ムヌシラシドゥクル ナムヌシヤビタン ワタチタボリ(音表記)
真亀は、夫・朝敏が王府によって処刑されたことに伴い、士族の身分を追われて農民へと落とされた。王都首里から下り下って、真亀が宮城島と結びついたのは奇遇としかないけれど、私たちはこの不思議な縁を大切にしたいと考えた。

1700年代の沖縄。時勢は暗くまさに激流のごとくであったと言うべきである。貧しい中で接してくれた島の人々。
そのムヌシラシに対する感謝の念と、海の向こうにワタッテ、イキタイ切なる願い!

ナ、ムヌシヤビタンと悟ってはみても、人の母胎たる〈故郷〉への思いだけは遂に消し去ることは出来なかったのである。
文学と政治と島と農民たち。真亀と、島の先人たちの辛苦の時代を解きほぐしながら、高離節の軽やかなテンポに合せて沖縄の明るい未来について一考を巡らしてみるもよし。

この歌碑が、一名〈もの知らせの碑〉として永く後世に語り継がれることを念願する。
2002年8月11日「高離節」歌碑建立期成会

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)碑文

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)碑文

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板

シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)案内板

シヌグ堂バンタ案内板

シヌグ堂遺跡

シヌグ堂遺跡は、宮城島の標高約100mの台地に位置しています。
その東側の崖下には島最大の湧き水であるヤンガーがあり、遺跡に暮らしていた古代人にも重要な場所であったと考えられます。
この遺跡は1933年(昭和8年)に沖縄考古学の父・多和田真淳(たわだしんじゅん)によって発見され、「シヌグ堂貝塚」と名づけられました。
その後は沖縄大学沖縄学生文化協会による表面調査や沖縄県教育委員会の本格的な発掘調査で、約2,500年前の40軒を超える竪穴住居跡が発見され、沖縄県最大の集落とわかりました。
土器(どき)、石器(せっき)、貝製品(かいせいひん)、骨製品等(こっせいひん)が発見されており、現在は埋め戻しをして遺跡を保存しています。

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板の写真

シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)案内板の写真

100 meters abobe ground, the Shinugu Shrine Ruins stand high atop a plateau on Miyagiisland. On the eastern of the plateau is a cliff,at the bottom of which is the island’s largest spring yanga. It is believed area was highly imprtant for the ancient people who lived in the ruins.
These ruins were discobered by Shinugu Tawada, the father of Okinawa archeology, and were named Shinugu Shrine Shell Mound in 1933. After some follow-up research by the Student Culture Association of Okinawa University and a full-fledged excavation effor by the Culture Department of the Okinawa Board of Education, and the now known to be the largest village in Okinawa. Various artifacts made from clay, stone, shells,and bones have also been discobered, and the ruins have been returned to the earth where they was found for storage purposes.

観光名所 シヌグ堂バンタ(しぬぐどうばんた)
シヌグ堂遺跡(しぬぐどういせき)
住所 〒904-2424
沖縄県うるま市与那城上原187
営業時間 見学自由
駐車場 あり


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