与那原親川(よなばるうぇーがー)
今回は与那原親川(よなばるうぇーがー)に行ってきました。
親川は天女が御子を出産、産湯を使った井戸と伝えられています。
与那原親川は親川通りの中ほどにあり、御殿山からも近い場所にあります。
小さな公園になっており、隣には綱曳資料館があります。
親川はコンクリートで固められた拝殿(はいでん)で、頑丈に造られた格子には金網が張られていて、覗き見る事はできますがご神体はないようです。
金網が張られている下には、石製の香炉が置かれているだけでした。
与那原親川を正面の両側には立派な石灯籠が二つ立っています。
右側には石碑(せきひ)があり、文字が刻まれています。
文字は「与那原の親川に あまくらがゐちゃうんあまくらやあらぬ 思姉おすし」「沖縄の与那原道の古泉 水清かりき今もあらむか」と刻まれています。
八・八・八・六の音韻になっているので、1つは琉歌だと思います?
調べると、歌人、飯田秀真が1956年に親川に立寄った時に詠んだという。
左側には納奉があり、水道が繋がっているようだが使われていないようでした。
親川(ウェエガア)の看板
天地開闢(かいびゃく)の昔、御殿山(ウドゥンヤマ)に天降り した天女が、その御子の出産にあたり、産場を召したとの神話に発し、琉球王朝 時代には国王の久高参詣(さんけい)(旧八月の神拝)の東廻(アガリウマーイ)や聞得大君 (キコエオオキミ)の御新下(ウアラオ)りの際、「お水撫で(ウビィナビィ)」の儀式を行うなど、首里出発後、最初の拝所として、休憩の御用水を献じた所と伝えられている。
「琉球国由来記 」によると「聞得大君の御新下り」の際の与那原の儀礼は親川の「お水撫で」が主役であることがわかる。「お水撫で」とは親川から汲んだ〈お水―ウビー〉を盛った器に中指を浸し、額を撫でる呪法で「孵で水=スディミジ(脱皮・再生の聖水の儀)」の儀式である。すなわち、天女やその子が浴びた親川で儀礼的に聖なる水を浴びることによって、天女の霊力を獲得(御新下り)する儀礼としての意味があった。
琉歌 にも「与那原の親川にあまくらがいちゃうんあまくらやあらん思姉おすじ」と歌われた。澄みきって、冷たい水がこんこんと湧きでるこの石泉は人々の崇拝をあつめた霊所である。
親川 東御廻り
与那原親川は天地開闢のむかし御殿山に天降りした天女が その御子の出産に当り 産湯を召したという神話に発し 琉球王朝時代は国王の久高島参詣 聞徳大君の御新降り(ウアラウリ)や東御廻り(アカリウマーイ)の際 首里出発後最初の拝所となり 休憩地として御用水を献じた所と伝えられている 澄みきって冷たい水が滾々湧き出るこの古泉は人々の尊崇をあつめた霊所であった
与那原発祥の頃 我々の祖先は上の毛の高台から下方隆起沖積しつつある海岸におりたって この泉を中心に村立をはじめ 豊富な余剰水を利用して新島原一帯に広い水田を開いたという 親川の広場はデイゴの古樹に囲まれ 町民の団結と憩いの場所として集会場となり催し場となった 与那原の大行事大綱曳もここから出発し ここで終結する 町の発展と人々の健康を祈願する場所だからである
上原良知撰文
昭和55年4月
親川拝所復旧期成会建立
名所 | 親川(うぇーがー・おやかわ) 与那原親川(よなばるうぇーがー) |
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住所 | 〒901-1303 沖縄県島尻郡与那原町与那原556,556 |
電話番号 | 098-835-8220 |
営業時間 | 見学自由 |
定休日 | なし |
駐車場 | なし |
東御廻り(あがりうまーい)の由来
「東御廻り」とは。沖縄民族の祖先「アマミキヨ族」が住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地巡拝行事です。 首里城を中心に、大里・佐敷・知念・玉城を「東方(あがりかた)」と呼んだことから、知念・玉城の聖地巡拝を「東御廻り」と称しました。 久高島は麦の発祥地、玉城は稲の発祥地として国王自ら参詣しました。東御廻りに癒やしを求めて
古来より沖縄では太陽の昇る東方(あがり)と呼び、そこは理想郷のある神聖なる方角であると考えられていました。 東御廻りとは、創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事の事です。 起源は国王の巡礼といわれ、王国の繁栄と五穀豊穣を祈願する行事として始められたと伝えられています。 現在伝えられている東御廻りのコースは琉球王国が、国家的祭祀ルートとして指定したものです。 最近では心と体を癒すための自己発見の道しるべや健康的なレクリエーションとして東御廻りをする方々が増えてきているそうです。 因みに、東御廻りコースは14ヶ所あります。14箇所の東御廻り一覧
東御廻りの一覧をまとめてみました。興味がある方はどうぞ足を運んでみてはいかがでしょうか?- 1.園比屋武御嶽(そのひゃんうたき) いにしえより国家行事や祭祀と密着。国王も聞得大君も道中の安全をここで祈念して出発したといわれている、東御廻りの第1番目の拝所。
- 2.御殿山(うどぅんやま) 与那原親川(よなばるうぇーがー)は御水撫でや東御廻りの御用水が汲み上げられた霊泉。御殿山に舞い降りた天女の御子の産井とも伝えられ、人々の憩いの場としても親しまれる。
- 3.親川(うぇーがー)与那原親川(よなばるうぇーがー) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 4.場天御嶽(ばてんうたき) 琉球三山統一を果たした尚巴志の祖父・佐銘川大主が祀られている御嶽。現在の場所は移転地で、イビ御嶽ほか5つの拝所が点在する。
- 5.佐敷上グスク(さしきがみぐすく) 尚思招・尚巴志父子によって築かれ、居城とされた。グスク跡には、尚巴志の一族を祀ったつきしろの宮が建立されている。別名「上グスク」
- 6.テダ御川(てだうっかー) 太陽神が降臨した霊泉といわれている。国王や聞得大君が久高島参詣のときには、祝女(ノロ)たちが航海安全を祈願してオモロを謡い祈った。
- 7.斎場御嶽(せーふぁうたき) 琉球の精神文化の象徴であるといわれる琉球開びゃく七御嶽のひとつ。聞得大君の即位儀礼・御新下りが行われた、東御廻り最高の聖地。
- 8.知念グスク(ちねんぐすく) 沖縄最古の歌謡集・おもろさうしにも謡われた、正門・裏門の石造りのアーチ門が美しいグスク。城内の友利御之嶽(とむいぬたき)が、東御廻りの拝所。
- 9.知念大川(ちねんうっかー) 知念グスクの西側入口にある井泉。玉城の受水・送水とともに、アマミキヨが稲をこの地に初めて植えたという稲作発祥の地として知られる。
- 10.受水走水(うきんじゅはいんじゅ) 緑の中でこんこんと湧き出る2つの泉と神田。琉球における稲作発祥伝説の舞台では現在も稲の始まりを神に感謝する行事が執り行われている。
- 11.ヤハラヅカサ アマミキヨが本島に降り立った、その最初の地と伝えられている。石碑は満潮時には海中に没して見えなくなり、干潮時に全貌を現す。
- 12.浜川御嶽(はまがーうたき) アマミキヨが仮住まいをした地。王府の東御廻りの地。
- 13.ミントン城跡(みんとんぐすく) アマミキヨが丘陵部へ進出して開いた安住の地と伝えられる。普通にいうグスクより祭祠遺跡として名高い、古代からの聖地と言われています。
- 14.玉城グスク(たまぐすくぐすく) 別名(アマツヅグスク)とも呼ばれる、アマミキヨが築いた琉球七御嶽のひとつ。本丸門はニライカナイに通じると伝えられている