今帰仁に位置する運天トンネルを抜けて先へ進むと、運天港の青い海にたどり着きます。
運天トンネルの長さは沖縄で一番短いトンネルと思うほど短い、トンネルの中は声がとても響きます。
このトンネルは戦前の大正時代に完成した、トンネルは地域の遺産として重視する人も少なくない。
運天港の近くに北部の行政の要であった今帰仁間切所が設置されていました。
運天トンネルが無かった頃は、村民は運天港や今帰仁間切所に行くまでに、この山を越えなければならなかった。
大正13年(1924)年に、村民の人々の力によって貫いてトンネルを掘ったとされています。
運天トンネルが出来てからは、周囲の集落へ安易に往来できるようになり、村民は随分と楽になった。
長い年月が過ぎトンネル内に亀裂が発見され修復を重ね続け、今のコンクリートのトンネルの姿となっています。
昔は、船に乗る乗客でにぎわっていたが、いまでは古宇利大橋ができ港の行き来が少なくなり、運天トンネルは村民だけが通るトンネルとなった。
運天トンネルの近くには運天散策道があり、展望台から古宇利島や古宇利大橋、屋我地島、ワルミ大橋などの絶景が一望できます。
運天トンネルの歴史
運天隧道(うんてんとんねる)は大正13年(1924年)に竣工した。
運天港付近には大正5年(1916年)まで今帰仁間切(村)の番所(役場)があり、今帰仁の行政の拠点となった場所である。
大正5年ごろから郡道整備がなされたが、それから沖縄本島北部に車が往来するようになり、物資の運搬の主役が海上から陸上に移り変わっていく時代である。
急な坂道を通って往来していた人々にとって、トンネルの開通は恵みであった。
平成8年(1996年)2月に全国的な調査があり、運天トンネルの内外に不規則な亀裂、また小規模の崩壊や落石などがあり、緊急に対策を必要とした。
運天の果たした歴史や村(むら)の人たちの重要な生活道路としての機能などを鑑み、また安定度などを考慮して補修が進められ、現在の姿になった。
運天トンネル(うんてんとんねる)の詳細
トンネル名 | 運天トンネル(うんてんとんねる) |
---|---|
住所 | 〒905-0403 沖縄県国頭郡今帰仁村運天58 |
駐車場 | なし |
事業年 | 平成9年(1997年)2月着工、同年10月竣工 |
道路規格 | 3種5級 |
施行工法 | NATM工法 |
トンネル延長 | 17.5メートル(トンネル15.5メートル、坑門1.0メートル×2箇所) |
トンネル内道路幅員 | 5.0メートル(車道部4.0メートル) |
トンネル内高 | 4.0メートル |